2014年5月27日火曜日

二胡教室 2014年発表会のお知らせ

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しばらく更新ができていませんでしたが、とうとう発表会が近づいてきました。


江南春琴行 第8回発表会のおしらせ(2014年6月1日)






















江南春琴行 第8回発表会のお知らせ


日時 : 2014年6月1日 11時30分開場
        12時開演
                16時すぎ頃終演予定

場所 : 西宮フレンテホール

      JR西宮駅南側 徒歩1分

      西宮フレンテホール アクセス 

第1部 個人独奏
休憩 13時半ごろ予定
第2部 「昆曲 孽海記 思凡(部分)」
個人独奏、合奏





昆曲について(プログラムより転記)

■ 昆曲について

昆曲(昆劇)とは明・万暦年間(日本では織田信長の全盛期)から清・乾隆年間(徳川吉宗の時代)までの約200年の間、中国全土で大流行した演劇です。

魏良輔という音楽家が、自分の住む地域(江蘇省昆山一帯)で歌われていた曲調を基本に北方の音楽の長所も加えた「水磨調」という曲調を編み出しました。
この曲調は、その発祥地の地名にちなみ「昆山腔」と呼ばれ、またこの「昆山腔」で演じられるお芝居を「昆曲」(昆劇)と称しました。
「水磨調」とはまさに水で磨かれる如く「おだやか・きめ細やか・なめらか」を旨として、独特の歌唱方式と整えられた伴奏楽器の編成により多くの人々を魅了しました。

その後誕生した「京劇」に人気がうつり、その後は長い衰退期に入りますが、高い芸術性と「百戯の母」(中国演劇の母)といわれる長い伝統が評価されて、現在では見事に復活し、世界文化遺産に登録されるに至っています。

■ 《孽海記 思凡》

   一般に《孽海記》と呼ばれる有名なお芝居なのですが、実はこのお芝居の伝奇(脚本全体)は見つかっておらず、不明のままなのです。
芝居の原型は16世紀ごろまでさかのぼることができ、少なくとも17世紀後半には大変流行していて、さまざまな節回しで歌われていたという記録があります。仏教を主題とした《目蓮戯》という芝居に関連して、民間に長く伝えられてきたものが素材となっていると考えられます。
《思凡》は唱も演技も完全に昆曲化され、昆劇には違いないのですが、昆曲の正式な節回しである昆山腔とは異なり、弦索調という節回しが起源となっています。
市井の息吹がより感じられる民間歌謡の影響を受けた曲調となっていますので、昆曲を良くご存じの方であれば、その音楽的な雰囲気の違いもお楽しみいただけるかと思います。
中国戯曲界では、”男怕夜奔、女怕思凡”(男性(の俳優)は《夜奔》を恐れ、女性(の俳優)は《思凡》を恐れる)と言われ、舞台上終始一人きりで一幕を演じ、細やかな心の動きを表現して、観客をひきつけることの難しさで知られています。
「思凡」は解放前は昆劇俳優であれ、京劇俳優であれ、旦(女性役)の俳優であれば、必ず習得しなければならない最も基本となる芝居でした。
京劇界を描いた映画「さらばわが愛(覇王別姫)」の中でも、主人公の少年が《思凡》を習う場面が描かれています。
ともあれ、この芝居が長年人気を博してきた理由は、幼いころに尼となった少女が外の世界にあこがれて、こっそり山を下りる、という明快で皆の共感を呼ぶ題材を、唱と踊りで絶妙に表現しているところにあり、昆劇ならではの演目だといえます。”昆劇大王”と称された名優、韓世昌が1928年に日本公演で演じていますが、彼の《思凡》は、日本舞踊の演じ方と比較などもされ、非常に高い評価を得ました。

  以上、江南春琴行 第8回発表会 プログラムからの転記